home

1 2 3 4 5 6 7 8 9 9-1 9-2                

風に吹かれて(9)      白井啓治  (2008.12)

 『風が流れて幸せのおもう』

 風が冷たくなり、虫の声が土に隠れたと思ったら、早や一年の終わりになってしまった。地球温暖化、異常気象とは言われながらも、風が冷たくなると新しい時を紡ぎだす準備を確実に始める。

 地球の平均気温が十度上がろうが、地軸に変動がない限り日本には四季が回り、生息できる種の変化はあるだろうが、この時期には新しい時を紡ぐ準備を始めるのであろう。

 昨年の暮れの号であったか、今年の一月の号であったかは忘れたが、ガラクタでも取り敢えず風呂敷包みに包みこんで担ぎ持って歩くことを止め、持ち歩くものを最小にした事を書いた。しかし、一年の過ぎて、振り返ってみると、またまたガラクタを沢山風呂敷に包み込んで首に括り付けてしまっている。

 秋口あたりから妙に肩や背筋が凝り、痛みを伴っている。それを誰かに話したら、六十肩です、といわれてしまった。考えてみると、この○○肩というのは、四十代に始まり十年ごとに訪れるものらしい。

 最初に体験した四十肩は、四十四歳ぐらいであった。まさか加齢による筋肉硬化とは理解しがたく、ゴルフの打ちっぱなし練習のやりすぎだと思っていた。そうしたら最年少の弟子から「四十肩ですね」と断言されてしまった。彼は、自分の父親もつい最近まで四十肩で苦しんでいた、と言うのであった。

 四十歳の半ばにさしかかっているのだから、四十肩と言われても最初は抵抗なかったのであるが、父もつい最近まで四十肩で苦しんでいました、と聞いた途端自分がどっと老けこんだような気がしたものだった。

 で、今また六十肩です、といわれ、己の年をしみじみと振り返えりながら、そういえば七十肩とは聞いた事がないのに気付き、これは後期高齢者になる前の大事な若さの証しなのだから肩の痛さを心して感じ取らなければと思ってしまった。

 

 この「ふるさと風」も今回で三十一号となる。三十一号を記念してというわけではないが、今月から嬉しい事が二つ増えた。一つは、風の会への正式入会ではないが、名古屋から旧八郷・瓦谷にやってきて百姓を始めた松山有里さんが原稿を寄せてくれることとなった。春には、正式に会員になっていただけるものと大いに期待している。昨年は、十一月号から菅原茂美さんが参加され、九月には小冊子「遥かなる旅路」を発行された。

 風の会への入会はないけれど、行方市浜にお住まいのオカリナ奏者の野口さんご夫妻が時々投稿下さっている。ふるさとを想う仲間が少しずつ確実な参加を頂けることはとても嬉しいことである。

 もう一つ、今月から「一三〇〇年の歴史の里・石岡ロマン紀行」というホームページを開いておられる木村さんのご厚意で、そのホームページの中に「ふるさと風の会」のコーナーを設けて頂いた。会報のバックナンバーや小冊子の案内、ことば座の公演案内等が紹介されておりますので、一度ご覧になっていただければと思います。

 

 ひとつの風が吹くと、その幸せに吸い寄せられるようにまた新しい風が吹き始めるものである。

 ことば座が、ギター文化館で偶数月の第三日曜日に定期公演を行っているのであるが、その日に駐車場の一角などを借りて、芸術文化市を開きましょうよ、という話をされた。そこで早速、ギター文化館の代表 木下 氏に、そんな話をされたがどうですか、と話したところ、ここがふるさとの芸術文化の発信基地になるようなことだったら、企画をたてドンドンやって下さいとの返事をいただいた。

 ギター文化館を発信基地としてスタートしたことば座も来年は三年目を迎え、大きくジャンプしなければと思っていた矢先に、芸術文化市を開きましょうよ、という話の生れたことは大変嬉しいことである。

 風の会、ことば座の方達には、急ぐことはない、しっかり確実に続けていきましょう。必ず望むべき成果がついてきますから、と話してきたのであるが、着実に根を張り、花の蕾をつけ、明日にはその花を咲かせようとしている。

 大変嬉しい一年であった。