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風に吹かれて(2)      白井啓治  (2008.4)

 『草取りとの婆さんに

道を尋ねたら横をむかれた』

 石岡に来てこんな一行文を呟いてからもう六年ぐらいになる。しかし、未だにこの感覚は抜けない。何をしても直ぐに横をむかれるし、そのくせ此方が無視してやると影でコソコソと囁いている。勝手に閉塞したい風土なんだから、何も構わず放っておけと思うが、住んでいる以上何らかの関わりを持たなければならない。実に面倒なことと思うが、ある程度は止むを得ないことではあろう。ところが最近、そんな風に思っている私自身が、この嫌な風土に染まってしまったかと自覚させられる出来事に出くわし、些か面食らってしまった。

 三月半ばのことであった。友人のオカリナ演奏会に顔を出すため、潮来に出かけたときのことである。演奏会が終り、潮来の道の駅に寄ってお茶でもしようということになって、初めて潮来の道の駅に行ったのであった。大層な人出で賑わっている道の駅であった。

 その道の駅で知り合ったお店の人から、「私、石岡に別荘を持っているんですよ」と言われたのであった。思わず「石岡にですか?」と聞き直してしまった。実際、石岡に別荘と言われても、果してそんなところがあっただろうかと、石岡と別荘のイメージが繋がらなかったのである。しかし、しばらく話しているうちに合点がいった。その方は、旧八郷の山間にログハウスの別荘を建てたのだという。

 ギター文化館の話をしていて、その方は本当はギター文化館のある柴間の近くに建てたかったのだけれど、土地が手に入らなかったのだとか仰られていた。

 石岡に別荘を建てたと言われた時「?」と思ったのは、道を尋ねられて横をむく婆さんと同じである。私は、旧八郷地区と言われてやっと納得した自分が恥ずかしくなった。

 しかし、旧住民達が石岡だ八郷だと線引きしたり、歴史自慢をしたりしようが、新しく石岡を認識していく人たちは、合併の終わった今の石岡なのだ。新しく石岡を認識してくれる人たちには、別荘を構えたくなる自然の豊で、穏やかな気候の常世の地なのである。

 中心市街地活性化に関するアンケートと称するものが無作為抽出とかで届いた。しかし、中身のない、余りにお粗末なアンケートであった。はじめに予算を立てて、それを正当化するような活性化策と称する内容なのである。本当に歴史文化として後世に残すべきものの検証もなされず、町興しを成功させた川越市などを横目に涎を流しての一部の者達が考える中心市街地活性化など、上手く行くはずもないし、妙案など生まれるはずもない。

 しかし、他国で耳にした「私、石岡に別荘を持っているんですよ」という誇らしげな言葉には希望があった。優れた種を残していくためには、新しい血を入れることが必要である。新しい血を拒んで種の繁栄はないのは、何も生物学の話だけではないのだ。

 石岡といえば、お祭りの町だと誰しもが疑うことなく言うであろう、というのは三年前までのことである。石岡のお祭りに歴史的文化価値を認めようとする人達の多くは、石岡のお祭りを歴史的に検証しようとしない人たちばかりであったといえよう。

 石岡のお祭りは、関東三大祭りと語呂合わせした百年前の「よさこいソーラン」なのだ。最初に石岡祭りを企画し、成功に導いてきた人たちの情熱には大きな敬意を払いたい。何もないところから、何かを企画し、それを一大文化行事にまで押し上げていく努力たるや、尋常なものではない。先達者の偉大さに敬意を払うのみである。

 ところが僅か百年後の現代はどうだ。百年前の偉大な先達者たちの検証すらできないで、文化行事を行なう振りをして、文化行事を壊しているに過ぎないような有様である。特に、平成の世になってからの文化的荒廃も酷いのではないかと思う。

 今の石岡市を豊な歴史文化の里としての将来を考えるのであれば、常世の国と称せられた太古以来のこの地を、些細な線引きを消して、確りと俯瞰してみることが必要であろう。常世の国を俯瞰してみることで、常世の国の暮らしの意義が見えてくるであろう。

 

『草取りとの婆さんに

道を尋ねたら横をむかれた』

 

 危ない危ない。私も、草取りの爺さんになるところであった。