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風に吹かれて(9-4)      白井啓治  (2009.4)

 

 『もう桜 間抜けな四季が過ぎて行く』

 近年、四季にメリハリがなくなってしまった。映画の編集に不可欠な、カット変わりの決め、止め(トメ)の間がなく、ダラダラ〜ッと、そしてセッカチに四季が移ろって行っているようである。これは地球の温暖化の所為なのであるが、季節の移ろい迄もが余裕無くあくせくと走り回っているようでは、近い将来、いや明日にも緑の自然が消えて火星のような砂漠の星になってしまうだろう。

 火星の探査衛星からのデータを解析すると、火星にもかつては水があった痕跡がある、といわれている。もしかしたら地球のような四季と呼べる穏やかな季節の移ろいがあったのかも知れない。

 風に吹かれ、風に戯れながら時の移ろいを感じていたいと願う私にとって、あまりにけじめや、止めの無い四季の移ろいは病んだ痛みのような感覚しか伝えてくれない。

 

 けじめと言えば、石の上にも三年と、何があっても最低三年は継続しようと始めたこの月刊ふるさと紙であるが、この五月で丸三年になる。この三年間を振り返り、参加者の全員が、一度も原稿の提出をパスすることなく書き続けてきたことは、驚くべきことである。

 三年間なんて大したことがないように思うかもしれないが、三年間毎月原稿を書き続けるということは、例え原稿用紙一枚であったとしても容易なことではない。このことは全員に褒め言葉を与えても良いだろうと思う。

 自己表現の言葉としての文章には上手下手はないのですよ、と言い続けてきたのであったが、言葉を文に書くことを始めて以来、学校教育の中で実体のない上手な文章などというくだらない事を教え込まれ、それがいまだに抜けきれないで、何度か書き直しを言われる人もいる。しかし、それでも一度も脱落しなかったことは、自分の言葉を確りと誰かに伝えたい、と切実に思ったからに違いないと思う。

 私は、あらゆるものの活動の定着について、七五三説という考えを持っている。先ず三年、次に五年、そして七年が無事に過ぎれば、その活動は(企業であれ団体であれ)ひとまず定着し、その後は何が起こっても七年間に培ってきた自助努力力で継続できるようになる、という考え方である。 

だからこの「ふるさと風の会」も五月の第三十六号を刊行したら、次の五年に向けての一つのけじめ、止めを持って、新たな自己表現・ふるさと表現の志向を構築していかなければならないと思っている 

三年のけじめを迎えるにあたって、最近嬉しい問い合わせが、常世の国の人たちから寄せられるようになった。それまでは他県・他市の方々からしか問い合わせがなかったのだから、本当に嬉しく思っている。成程「石の上にも三年」になると、気にかけ、応援して下さる人の声も少し大きくなるのだな、と実感している。