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風に吹かれて(9-5)      白井啓治  (2009.5)

 

 『何だか心寂しい里の春』

 

 ことば座、4月定期公演の少し前の事であった。女優の小林さんに、6月の公演は何をやろうか、と話していたら菖蒲沢の先、小野越にある北向観音に、小野小町が姿を映して見たという池があるけど…と言われた。それで、6月公演では、古今集に収められている小野小町の歌を軸に、脚本を書こうと決めたのであった。そして、公演が終わり北向観音を小林さんと訪ねたのであったが、姿見の池を眺めているうちに、滋賀県大津市の寺にある小野小町百歳像のことを思い出し、急に寂しい感情が生まれ、右の一行文を呟いてしまった。

 小野小町は非常に謎めいた美人の歌人で、その伝説は日本各地にある。小町の墓も五〜六か所にものぼる。朝日峠を越えた先には、小町の里があり、この里で小町が没したとされ、その墓もある。

 旅に病んで…の芭蕉ではないが、小町も日本全国に旅したのかも知れないが、晩年にこの常陸国を旅することは考えにくい。百歳の小町像があるくらいの長寿だったのだから、百歳にもなろうという人が、どんなに健康体であったとしても、都から歩いてこられるはずもない。  

 また「卒塔婆小町」なる話も創られてあるのだから、百歳はどうか分からないが、その時代にあっては長寿という点においては、化け物のような人だったに違いない。

中国では、妖とは七十歳代の女性、怪とは八十歳代の女性のことを言うそうで、小町はまさしく妖怪の上を行く化け物と言っていい。何よりも卒塔婆小町となってもその妖艶さを捨てようとしなかったのだから、確かにすごい。しかし、その分女の哀れ、寂しさを思わせてしまう。

 仮に、小町が朝日峠を越えた小町の里と呼ばれる地に没したのであれば、かなりの高齢であった彼女が、自慢の美顔を皮膚病に侵され、北向観音に治癒を祈願し、完治した顔は如何な? と池に映して見たと想像すると、何んとも不気味な思いにさせられる。

 しかし、この想像が真実に近いものであったら、作家としたら矢張り卒塔婆小町のことを本気に愛して抱きしめてやりたいと思う。人は何故生き続けようと願い、そのように行動するのかの一つの真実の答えを出してくれていると思う。

 北向観音堂に出かけるとき、小林さんには古今集にある小町の歌十四首と、舞の為の仮の現代語訳を渡したのであったが、彼女が小町のことをどのように想像し、舞のイメージを創りあげるのかは未だ分からないが、妖怪と称される年齢となりながらも、美貌の自尊心を持ち続け、艶麗なる言葉の舞を舞う姿を演じてくれたら、と期待している。

 ことば座の公演も6月で14回を数えることになる。そして常世の国の恋物語も二十一話になる。百話にはまだまだ先は長いが、その種は尽きることはなさそうだ。

 本会の打田さんと良く話すのであるが、この常世の国には、本当に物語の種は尽きることなく存在している。しかも全部が豊穣の実りを結ぶ種ばかりである。現状の自分に都合の良い勝手を言わなければ、本当に素晴らしい実をつける種ばかりである。  

この風の会の会報も今回36号となり、丸三年を無事終えることになった。会員も先月松山有里さんが正式に入会されて七名となった。そして不定期ではあるけれど投稿頂いているギター文化館代表の 木下 明男さん、オカリナ奏者の野口喜広さん・矢野恵子さんご夫妻、崙書房の太田尚一さんを加えると11名になる。

ふるさとルネサンス塾の塾生であった打田昇三さん、兼平ちえこさん、小林幸枝さんと始めた小さな集まりであったが、三年が過ぎると、大した大所帯になったとものだと感心する。

 何事にも七五三説を唱える私にとって、先ずは最初の三年をクリアできたことは喜ばしいことである。あとは次なる五年に向けて自分自身を精進するだけであるが、ことば座の4月公演から、ギター文化館でふるさと文化市が始まったり、他に幾つかの楽しみな事件の起こりそうな気配が聞こえ、嬉しく思っている。

だからこの「ふるさと風の会」も五月の第三十六号を刊行したら、次の五年に向けての一つのけじめ、止めを持って、新たな自己表現・ふるさと表現の志向を構築していかなければならないと思っている 

三年のけじめを迎えるにあたって、最近嬉しい問い合わせが、常世の国の人たちから寄せられるようになった。それまでは他県・他市の方々からしか問い合わせがなかったのだから、本当に嬉しく思っている。成程「石の上にも三年」になると、気にかけ、応援して下さる人の声も少し大きくなるのだな、と実感している。