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風に吹かれて(09-10)      白井啓治  (2009.10)

    

 『良いではないかよもやの歳でもと蟋蟀の声』

 

 随分と前のことになるが、これまで何度もの新人デビューを果たしてきた、というようなことを書いたことがあった。この会報の原稿であったかどうかは忘れてしまった。

 少し以前に流行ったマルチ人間にあこがれているわけではないが、目標としている一つのことに集中して努力を積み重ねていると、努力に付随してやらなければならない枝が次々と広がってくるものである。それで特別に覚悟を決めるわけではないのに、次々に芽吹き、伸び広がってくる枝での新人デビューをすることになる。

 本業は、いや幹は脚本家なのであるが、脚本を書くためには演出という事も勉強をしなければならないし、脚本を書いていると、どうしても他人の演出に対して感性や考え方の違いからくる違和感が生じ、この本は自分が演出をやりたい、というような事が生じて来て、演出家としてデビューすることになる。

 演出をやっていると、自分の創りたい作品を創るためには、自分がプデューサーにならないと難しいとプロデューサーのデビューを果たす、といった塩梅である。

 小説家もそうであるが、脚本家というのも新しいテーマ、モチーフが決まるとそれについて、資料を読むだけではなく、専門家以上にその事について勉強をし直さなければならないという側面がある。私自身の新人デビューで面白い、というか変わっていたのは、プロゴルフアー志望の研修生にメンタルマネジメントの指導を行ったことである。脚本や演出は人間の葛藤を描くものであるから、メンタルマネジメントの内容は、どちらかと言うと日常業務内のようなものである。特にメンタルマネジメントの中の重要な柱であるイメージトレーニングなどは、そのスタートが演劇からであるので、まあ日常の業務の中といえる。

その生徒は、取敢えずはプロゴルファーにはなったが、望みが小さくトーナメントプロとしては活躍できなかったし、この先も無理であろう。

 脚本などというもの総じて下世話なものなのであるが、物語…人間の葛藤を書く以上、人間好きで、観察好きで、面白がりやである事が要求される。特に面白がりやである事は、絶対的条件ではないだろうか。

 五年前に小林幸枝という人材に出会い、朗読語りを手話を基軸とした舞で表現する朗読舞を創出したのであったが、朗読をする人材の育成が叶わず、取敢えずは自分で朗読をすることとなった。その時はあくまでも暫定的な積りであったが、小林幸枝の更なるステップアップのために、演出家の余技的な朗読ではなく、朗読俳優として枝を確り伸ばすことが必要となって来た。それで今度は、よもやの歳で俳優としてのデビューを果たさなければならなくなった。

 脚本、演出、俳優というのは同じ線上に思われるが、決してそうではない。脚本と演出はある意味同一線上にあると言えるが、俳優は全く違う線上のものである。

 脚本家を目指すきっかけは、舞台俳優へのあこがれであった。しかし、実際に演劇を始めてみると、舞台映え、スケール感といった生まれ持ってこなければ訓練では成せないものの欠けている事に気づいたことでの方向転換であった。

 ところが今度は、肉体動作のスケール感のなくても可能な朗読俳優へのデビューを果たさなければならなくなった。小林幸枝に朗読を提供する俳優が育たないからである。

 年々思うのであるが、自分もいつまでも若くはない。自分の元気にも限りがある60も半ばを過ぎると、己の死後に対する責任も考えねばならなくなる。朗読俳優がなかなか育ってこないのであれば、まだ可能な時期である今、朗読俳優デビューをしなければ、折角発見した逸材、小林幸枝を埋もれさせれしまうことになる。それを仕方ないという事はあまりにも無責任である。それで「良いではないかよもやの歳でと蟋蟀の声」なのである。

 ことば座を立ち上げて3周年での新しい覚悟が生まれた。また忙しくなる。死んだら幾らでも寝られるから心配しなさんな、と言い聞かせ、納得する秋の夜である。