home

目次戻り  

風に吹かれて(10-7)      白井啓治  (2010.7)

    

 『五月雨は笹ゆりの香に染まり 老女逝く』

 

 ことば座第18回公演の中日が終了した夜の事、母の死の知らせが来た。形式だけとはいえキリスト教徒の私がこんな言い方をするのはおかしなことではあるが、昨年の暮れに母を見舞いながら「引導」を渡して来たので気持ちが騒いだり、乱れたりするものはなかった。95の人生であった。

 火葬・告別式は公演の終了後に行ったのであったが、教会の限られた姉弟達と家族だけの静かなものであった。命を精一杯に生きた母には相応しく悲しみのない、この世に生を受けた者の当然の帰結としての告別であった。

 火葬前の母の棺は、季節柄ではあったが、白いユリの花が多く、強い花の香の声を聞きながら、少年の頃、梅雨にびしょ濡れになりながら母を喜ばそうと裏山の笹ゆりを一抱えも摘んできた事を思い出した。

 白いユリの花に埋もれた母の姿は、余りにも静穏であった。なるほどこれが人の死、生命の消して鼓動の止まった様なのかと、感動を覚えた。これもまたキリスト教徒としては不謹慎であるが、生なく滅びなし、とはこの一瞬を表現して言うのかもしれないと思った。

 今はもう教会に行く事もないが、昔、熱心ではなかったが時間をもてあました時に、ふらりと教会いに行っていた頃のことである。私の、若いキリスト教信者としては決して許せない様な過激な言動に、『白井君はキリスト教徒ではない。○○子さん目当てで来ているのよ、いやらしい』と非難をされた事があった。しかし、私はそんな事にめげる程繊細な神経ではなかった。『馬鹿言え。ランボーだってジュネだってキリスト信者だったんだぜ』と嘯いていた。私を非難の目で見る女学生たちは、私が伝道師であり医者であった家に生まれ

聖書の中で育った事を知らなかったし、言う事もなかった。  

 『疲れたら休めと野の花のいふ』

 石岡に来て間もなく詠んだ一行文詩であるが、母への引導もこの詩の延長線上といえるものであった。

 引導などという言葉は、仏教語そのものではあるが、しかし、今では日本語としての表現語である。元はインドの梵語(サンスクリット)が、漢語に翻訳され、その漢文が日本語化して今に至っているのだからもう立派な日本語である。

キリスト教の聖書だって、古代ヘブライ語から英語・仏語…そして日本語へと翻訳され、日本人的経典としてのバイブルになっている。コーランは親しんだことが無いので解らないが、日本語訳されたものはやはり日本的コーランになっているのだろうと思う。日本語訳されている聖書も現代解釈されている経典も同じ日本の臭いがする。

 横道にそれたが、鼓動の消した母の顔は、矢張り静穏で「生なく滅びなし」と表現すべきものであった。そして、それは95まで生きた自信とも言える静穏さであったと思う。