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風に吹かれて(10-4)      白井啓治  (2010.4)

    

 梅一輪の香に夜を偸まれて

 

 今年の冬は実に落ち着きのない天候であった。乱高下する気温に体がついて行けず、何年振りかの風邪まで引いてしまう有様だった。しかし、庭の梅の花は、桃の花かと見間違うほどに豊満な姿を現してくれた。

 梅の花が豊満だなんて表現をした記憶はなく、実際あまりピンとこない。だが、豊満で妖艶としか表現のしようのない風姿であった。その梅の蕾が見事に膨らんで来た時、一枝手折り、白い花びんに投げ入れたら、その夜一輪がひっそりとではなく、これも想像し難いかも知れないが独り寝の闇にピンクのうす灯りを点すだけでなく、梅香が寝部屋を独占してしまったのである。

 梅香の闇の隙間に静と零れて来て、なんてことを言いたいのであるが、「わ〜ィ! 梅だぞ〜ッ!」と大はしゃぎされたのである。まさしく夜を偸まれてしまったのであった。  

 三月は、桃の花と見紛うほどの梅の花が、悲しい知らせをも運んできた。三月に入って間もなくの時、6月公演の台本を書くための取材に、村上龍神山に登って来た。急傾斜の山に数百年を超す古木が鬱蒼と覆い、天空からの光を殺している。すでに道とは言えぬ道を登り、頂上付近の岩に建つ小さな祠を見て来た。

祠の祀られた大岩の所からは、常世の国が一望に見わたせ、素晴らしいところであった。しかし、その足元を見ると、雄山、雌山と連なる峰が分断され、もう二度と再び夫婦龍として手を取り合うことは無くなっている。実に悲しく、淋しい思いにさせられた。

 山を降りながら、6月公演はことば座の第二ステージの初回なので、龍神山の無常を池田さんの居合の剣舞とコラボレーションでやってみるのも良いな、と思ったのであったが、その二、三日後、池田さんが亡くなられたとの知らせを受けたのだった。

 池田兄は、私が石岡に来て最初に声をかけて頂いた方で、お店の前を通るたび、寄ってお茶でもどうぞ、とお誘い頂いた。池田兄が、居合道で日本一になられた事を知ったのはずいぶん後になってからの事であった。

 居合の達人である事を知って、一度小林幸枝の舞とコラボレーションしてみたいものと、お話ししたら、快く承諾して頂いた。最初で最後になってしまったが、池田兄の剣舞とコラボレーションした話は、石岡の伝説、鈴姫の物語であった。

 新説として再構築した物語のテーマにしている身勝手が自身を滅ぼす、に呼応して姑息を打ち首にする、の設定で演じて頂いた。

 村上龍神の山を降りながら、池田兄の顔が浮かび、小林さんに6月は池田さんにお願いしてもう一度コラボレーションしようか、と話したのであったが、その日は池田兄の召された日でもあった。最後まで不思議な御縁であった。

 謹んでご冥福をお祈り申し上げます。