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歴史随筆(24)      打田 昇三  (2010.11.1)

  

 ベルリンの壁

         打田 昇三

 

 東西ドイツが統一されてから今年で二十年になる。

その一年前に「ベルリンの壁」の撤去が発表され「東西分断の悲劇」が終わった。

一九六一年八月十三日の未明、東ドイツが突如としてベルリンを分断したから、外出していた人々は家にも戻れなくなった。

見上げるような塀が築かれ、帰りたい想いで封鎖を突破しようとして何百名かの人々が無慚(むざん)にも射殺された。

 ところが、そういう時代でも何か所かのポイントが出入り口になっていて、検問は台車付きの鏡で車の下まで調べる念の入れようであったが、通過してしまえばカメラを肩に勝手に歩き回っていられる。

東側では日本の会社によるビル建築が盛んであった。

 統一のきっかけとなった東ベルリン民衆の意識改革は西側テレビ局の自由な番組だと聞いた。

思想や交通を遮断しても分断の壁を越えて来る電波は防ぎようが無い。

二十八年で東西の壁が崩れた。

振り返れば主義思想に毒された分断や検問や冷酷な壁は何だったのか…占領国の狂気がわかる出来ごとである。

 ただ東ベルリン市内には日本の文豪・森鴎外が下宿していたアパートが保存され史跡扱いされていたことは意外で、これを東に閉じ込められた市民の善意と解したい。