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歴史随筆(21)      打田 昇三  (2010.8.1)

 

 国の誠意       

 

 昭和十四年二月に日本の駐米大使が、現地で病死した。

当時の日米関係は日本軍部の中国大陸侵攻や日独(ナチス)接近等で険悪そのものであり、昭和十六年には悪夢の戦争に突入する。

そうした中でも、米海軍の巡洋艦が横浜港まで航海して来て故大使の遺骨を届けてくれている。

この大使は祖国がファシズム化する中で戦争回避に尽力したらしく、特に日本海軍航空隊が揚子江で起こした「パネー号(米国砲艦)誤ごばく

事件」では山本五十六海軍次官の誠意ある陳謝対応をアメリカ側に正確に伝えたと思われる。

 日本軍部が「たかが砲艦一隻…」と侮あなどり、軽視する中、山本次官は卑ひくつ屈と嘲あざけられる程の低姿勢で米国政府に詫びた。

やがて連合艦隊司令長官となった山本元帥は戦争反対を意図しながら狂った国家体制に巻き込まれ「悲劇の軍神」と讃えられる。

 一触即発の緊張した国際関係ともなれば、相手に憎しみを募らせ冷静な対応は出来ないのが普通である。山本次官と駐米大使の誠意に対

して米海軍も「軍艦による遺骨送還」で応えてくれたのだが、そのことは日本の歴史記録から消されてしまった。

権力により「人間の誠意」を失わされた日本人は、そのままで現代に至っている。