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歴史随筆(19)      打田 昇三  (2010.6.1)

 

 戻り来る過去

 映画化などで注目されている「桜田門外の変」では、水戸浪士たちが現場へ向かう前に愛宕山で最後の打ち合わせをした。

愛宕下は私の出生地だし、越後屋(三越)に奉公中であった祖父は、使いの途中で惨劇の跡を見ていると聞いた。

 十八名の中で「齋藤監物(さいとうけんもつ)(静神社神官)」は行動の趣意状を老中に提出する役目だったが、斬り合いを目にして死闘に加わり頭部などに深い傷を受けた。

目的を果たした後は打ち合わせどおりに重傷者四人で幕府老中邸に辿り着き任務を果たした。齋藤監物は四日後に死亡している。

 現役中の私は本庁筋の齋藤さんという方とよく打ち合わせをしたが、その上司から「…彼は齋藤監物の孫か曾(ひまご)だ…」と教えられた。

その上司が仕事に厳しい人物で、出先機関の私などは反発していたのだが、齋藤さんは不平不満も言わず黙々と仕事をこなす誠に温厚実直な公務員であった。

 父祖が自分の立場を超えて死闘に参加する程だから子孫も誠実な方だったのであろう。

それにしても百五十年前の大事件が遥かに遠いようで近いようで、時の感覚が定まらなくて困っているこの頃である。