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歴史随筆(1)      打田 昇三  (2007.4.1)

 

国府の高官   2007.4.1

 天長七年(八三〇)に桓武皇子で平氏の祖となる葛原(かつらばら)親王が常陸守に任命され、石岡には常陸介(ひたちのすけ)の高階石河が赴任してきた。石河は天武帝の高市皇子から五代目なのだが曽祖父と祖父が事件絡みで没落した家系である。

 祖父の安宿(あすかべ)王は臣籍降下を願い「高階(たかしな)」の姓を貰ってから中級官僚となったので石河も常陸介から出雲守、都に戻って宮内庁次長を勤めたが、その子孫は民営化したらしい。

 二七〇年ほど後に高階経成が常陸介に任命されたと石岡市史にも記録があるが、年齢は八十過ぎで当時も前の関白・藤原師実の執事で居たようだから、常陸守と同様に石岡には来ないで給料だけ貰っていたと推定できる。

 高階氏でも石河とは別系で、経成の五代前(師尚)は平成帝の孫で歌人の在原業平(ありわらのなりひら)と、文徳皇女で伊勢斎宮(いつきのみや)子(やすこ)内親王との間に「朧月夜(おぼろづきよ)の恋」で生まれ高階の養子となった。経成の実父の成章は紫式部の娘婿であり、その兄弟は平氏一族とも深い縁を結んでいる。 

常陸守は皇族の名誉職だから常陸介が実際の長官になる。経成は特例だと思いたいが長官も次官も来ない常陸国では判官(ほうがん)職の大掾(だいじょう)を世襲する平氏に権力が集中したのであろう。